もうすぐ所属している楽団の演奏会なので、頭の中が音楽でいっぱいである。
俺って結構な飽き性だな、と思っているが、音楽だけは続いている。
何でだろうな~ってたまに考えるのだけど、理由はいくつもある。
まあ、いちばんの理由は、音楽の底の深さってことだろうか?
経験を積んで、それなりに上達しているのだが、上達すれば新たな課題が見つかるので、終わりがない。
加えて、様々な角度から音楽をとらえる視点が身について、より楽しめるようになってきた。
最近は、音楽と時間の関わりについてよく考える。
演奏しながら、いろいろ頭を使って考えるのだが、それを練習後にあれこれ考える。
いい演奏というか、いい音楽というのは、優れた時間感覚と計算の上に成り立っている気がするのだ。
演奏するのは、その瞬間の譜面に書いてある音なのだが、この一つの音を、その都度その都度音にするだけでは音楽にはならない。
過去に連なる音の連続の上に、今この瞬間の音があり、加えて、その現在までの音のつながりが、未来への予測を促す。その予測を裏切ったり、あるいは予定調和で終わったりする。
まあ、これは一つの物語と同じような構成である。
そういうことを、あれこれ考えていると、「いやー深いね!!」なんて思ってしまう。
たかが一つの八分音符にも、音の意味を見出せたりすると嬉しくなって小躍りしたくなる。
一流の演奏家というのは、そういう研ぎ澄まされた感覚と、その感覚を具現化するテクニックを持っている。
テクニックだけではもちろんダメだし、優れた感覚があってもそれを表現するテクニックがなければ意味はない。
こうやって、思考はいつも原点に戻る。
音楽をやっていく上での俺のポリシー。
テクニックは練習すれば身につく。これは誰でも分かる。
じゃあ、もう一方の感覚はどうなのか。
これは才能の問題だ、という人が多い。センスという言葉で片付けることもある。
でも、俺は決して才能だとは思わない。
感覚も努力によって必ず身につけることができると思っている。
ただ、そこにかかる努力は並大抵のものではない。
膨大な時間と、亀のような歩みを覚悟しないといけないだろう。
(これを無意識にすいすいできる人は真の天才と言ってもよい)
とにかく、音楽はいろいろなことを教えてくれるので面白い。
そして、こういうことを考えていると、勉強も全く一緒だよなと思ってしまう。
能動的に物事に関わっていく姿勢は、何事においても大切である。
そうでなければ、真の楽しさや面白みは味わえないと思う。
勉強がつまらないとか、面白くないという人は、ほぼ100%受け身でやっている。
やらされている間は、何かを発見することはほとんど無理だと思う。
勉強に限らず、部活動だって同じ。
しっかり頭を使ってみると、枠の問題ではなく、何であろうと物事に対する姿勢こそが大切だという真実が見えてくるのだ。
いやー、何か今日はいいこと書いた感があるぞー!!満足!!
さ、調子に乗っているうちに仕事仕事!