数学を教えるときに、いちばん気にしていること。
それは、「数学は物語」であるということだ。
大問の中に小問がいくつかある場合なんて典型なんだが、実はそんな末端の話ではない。
数学をやる上で最も大切なのは、「言葉」を理解することである。数学の言葉を。
たとえば、習ってしまった後は無意識に使っている「平行四辺形」なんて言葉がある。
「じゃあ、平行四辺形って何?」
と聞いてみると言葉に窮する人があまりにも多い。
あるいは、「5y×4ってどういうこと?」という質問でも本質は同じである。
ところが、計算はできるし、平行四辺形の証明問題はできたりするのだから、何とも不思議である。
実は、英語にも同じことが言える。
I have a dog.
なんていう、いまどき小学生でも分かる英文。
「私は犬を飼っています」
と誰もが答える。
「じゃあ、なんでI have a dog.がその意味になるか説明してみて」
と言うと、途端に硬直してしまう。
学校のテストで満点に近い成績を取っている子ですら、これに答えるのは難しいようだ。
これは一体どういうことなんだろう?
と常々思ってきた。
それは、お前が理屈っぽいからだ!
と、よく言われる(笑)
確かに、僕は理屈っぽいところが多分にある。おまけに頑固。
「歳をとったら絶対にクソジジイって近所のガキから言われる」と後輩に指摘された(笑)
まあ、そういうこともあるだろうけど、これはやはり、勉強をする上で気にするべきポイントだと思う。
国語が大切だと言う人も多い。
では、なぜ大切なのだろう?
僕が思うのは、英語にしても、数学にしても、それは「違う言語である」という認識からスタートするものだと思っている。
数学は記号とか式とかでしょ?
と思うかもしれないが、よーく考えると、その式の定義なり意味なりってのは、しっかり言葉で理解しているわけである。
つまり、人間の思考と言うのは言語で行うものなのだ。
その言語が貧弱であれば、思考もそれに伴い、しょーもないものになってしまう。
だから、言葉を重んじる姿勢が大切なのである。
何だか話がそれてきた感じがするが、とにかく、言葉を意識して勉強することが肝心。
ただの「=」という記号であっても、言葉で「正確に定義すること」が重要である。
英語であっても「言葉(日本語)で説明できる」ことが理解しているというこである。
で、これって音楽も一緒である。(結局、音楽の話をしたいだけ)
音楽の場合は、楽譜という共通言語が存在する。他にも音楽記号とかいろいろ。
当たり前すぎて、見過ごしてしまうが、一つの譜面があれば、どの国であっても、その人がどんな言語を使っていても、同じ音楽が(厳密には解釈が違ったりするけど)演奏される。
そのためには、楽譜に書いてあることが正確に理解できないといけない。
そして、正確な演奏のためには、譜面を言葉で理解することが重要なのだ。
(ただ、聞く場合は直感で良かったりもするけれど)
何百年も前に、バッハが考えていたことを、譜面を通じて受け取ることができたりするのは、何だかロマンチックだね~、とか思ってしまう。
勉強っていうのは、「これ!」ってはっきり言うのはなかなか難しいのだけど、こういう部分が大切なんだろうな、と最近になってようやく分かってきた。
もちろん、問題をたくさん解いて、やり方を覚えて、いい点数取って、というアプローチを全否定するつもりはない。
けれど、それこそが勉強だ!と言われると、やはり反発を覚える。
深く深く掘り下げていくことで、いろいろなものの土台となっている「何か」に触れることができる。
また、そういう風に考えること自体が面白いと感じる。
僕も、もうじきアラフォーになってしまうのだが、まだまだ勉強は続く。
そして、それがどんどん面白くなっていく。
もっと早く、こういうことに気付いていたら良かったな~。
最近は、それをよく思う。