その昔、まだ俺が高校生だった頃、数学や物理とは随分格闘した。
だいたい、深夜0時くらいから数学・物理格闘時間に突入していた。
夜の方が、なんとなく解ける気がしていたのである。
習慣とは恐ろしいもので、今でも数学は夜中でないと勉強できない(笑)
おかげで、いつまでたっても夜型人間を脱却できない。
と、数学のせいにしてみる。ごめんよ数学、ソーリー数学、フェアツァイウング数学、パルドン数学。
ま、そんな風にして、真夜中に「う~む」と唸りながら入試問題なんかと闘っていた。
これがまた、笑えるくらい全然できなかった。あはは。
「こ、これは一体全体どうしろと??」
と思いながらあれこれ鉛筆を動かして、考えてみるものの、モヤモヤから抜け出せず。
「こりゃ参ったなあ」
と目の前の数式をじーーーーーーーーーーーーっと睨む。
すると、目の前がだんだん暗くなってきて・・・
気付いたら寝てた!!
なんてこともしばしばあった(笑)
ただ、夜というのは何となくアンテナが敏感になるもので(俺だけ?)、まれに「はっ!」と気付く瞬間があるのである。
それまで、融通の利かない「そういう決まりですから」なんていうカチコチ野郎だと思っていた数式が、「いや、実は俺って軽い性格なんすよ~うひょひょ」と語りかけてくるのだ。
まあ、実際には、数式は数式としてそこにあるだけで、オカシクなってるのは俺の方なんだけど。
この「はっ!」というのがどこから来るか、何度か経験するうちに帰納的に考えてみたことがある。
そうすると、この「はっとタイム」は視点の大胆な転換によって起こることが多かった。
多分、それまでに培ってきた無駄な想像力が、夜という環境によって遺憾なく発揮されたのであろう。
大体、夜に書いた手紙とかを、朝になって読み返すと、鼻血がドバドバ出るくらい恥ずかしい文面だったりする。あれと同じようなものだ。(俺の恋文を持っている淑女がいたら、焼いてくれ!)
ともかく、この視点の転換というのは、非常に重要である。
目の前にあるものを見ることは大切だが、それだけに縛られてはいけない。
数学は、そんなことを教えてくれた。有難う数学、サンキュー数学、ダンケシェーン数学、メルシー・・・。
とくに、高校数学では、いろいろな視点が出てくる。
なかでも複素数なんて、革命的なものだ。
って俺も、その有難味を知ったのは大学で複素関数とかを扱ってからであるが。
これがないと工学系では何もできない、といっても良いくらい。
とにかく、一つの問題を様々な角度で眺めてみるというのは実に面白い。
解けたらおしまい!ではなくて、他に考え方がないだろうか?と考えてみる。
そこに、新たな視点を発見したら、また別の姿が浮かんでくる。
そう、目に見えるものだけがすべてではない。
だからと言って、幽霊が見える、とかそういう話ではない。
できれば見えないほうが良いものもある。見たくないこともある。
ただ、目の前の姿だけにとらわれてはいけない。
つまり、数学とは、女性のようなものなのである。
決して愚痴などではない。女性は神秘的だと・・・げほげほげほ!!
一体、俺は何を書きたかったのか、さっぱりわからなくなってしまった(笑)
まあ、とにかく、想像力は大切だよねってことね。あはは。