ハードとソフト

去年あたりFacebookを使っていたが、最近は放置プレイ。

大量に流れ込んでくる情報がどうにも苦手である。

やはり、ブログでこっそり更新するのが向いている。

あるいは、書物から知識を入れることの方が向いている。

時間はかかるが、こうして文章を練る時間も必要である。

おお、これは老いか(笑)

さて、最近考えたこと。

勉強しないといけない。

そんな悲愴な声を耳にすることがある。

そういう気持ちを持っているのは立派だと思う。

だけど、勉強しないとダメ、ということはない。

勉強したけりゃすればいいし、したくないならしなくていい。

こんな仕事をしてて、このスタンスでいいのかと自問するも

やはり答えは変わらない。

時と状況によって、自分のやるべきことは刻々と変化する。

必要な知識や、身につけるべき技能も当然変化する。

当然それらは、時の流れに応じて進化していく、と思う。

より高度に、より深く、より専門的になっていくものだろう。

そういうものはソフトウェアである。

ソフトを利用しない、あるいは無縁であるのなら

ハードの性能なんて必要最小限でよい。

俗にいうヨミカキソロバンというレベル。

ただ、何かしらに関して高度なソフトを操作する必要がある場合

ハードに余裕がなければ、ソフトは動いてくれないだろう。

そういう意味で、勉強とは自分というハードウェアを鍛えることだと思う。

様々なソフトを使えるようなハードをつくる、

つまり、変化によって起こる様々な事象に対応できるような自分を準備する

ということなんだろうなと思う。

変化のない世界であれば、先に言ったようにハードの性能は必要ない。

ただ、変化のない世界は、「死」であると思っている。

それは心電図の波形が直線となることと無関係ではない気がする。

だから、俺は今でも勉強を怠らないんだろう。

しなくてはいけない、などと思ったことは一度もない。

それは、こうやって日々考えているからなんだろうな。

と、数学のプリントをつくるためにパソコンと格闘しながら思った。

だいぶ、やられてるな(笑)

最新情報をチェックしよう!
>ちゃんとした数学の授業を受けていますか?

ちゃんとした数学の授業を受けていますか?

体験授業は随時実施しております。
学習相談なども受け付けております。
お気軽にお問い合わせください。

CTR IMG
error: Content is protected !!