合格発表が終わって仮入学の時期になった。
多くの進学校では「塾は必要ない」「学校の授業だけで十分」と言われる。
なるほど、完全に存在を否定されてるわけね…。まあ、宗教の勧誘の人に「現代の悪魔」って罵られたことあるもんなぁ。
生徒から聞いた話では、塾に行っていると面談とかでアレコレ詮索されるらしい。そんなに気になるのか?
それって恋のアレと同じなんじゃない? あら、ヤダ!
その一方で、大手予備校の講師を呼んでくることもあるようで、つまり有名かどうかが問題ってことなんだろう。いわゆるブランド志向。
恋で置き換えれば、芸能人かその辺のイモかってこと。ということは、俺はその辺のイモだね。
ちなみに、うちの塾のことを何も知らないのにそんなイモな塾はダメだ、と面談で言われて憤慨していた生徒もいた。
その先生がイモって言ったかは知らないけど(笑)
一方の俺のスタンスは、必要かどうか判断して必要だと思えばやればいい、というものである。まあ、塾ってのは主体的に選んで来るもので、しかもお金を払っているわけだから、しっかりやる人がほとんどだけど。
自分で判断できない人や、判断の基準がグラグラしている人にはアレコレ言うけど、基本的には自分で選択すべきだと考えている。
失敗する人もたくさんいるが、失敗に対してしっかりと反省を促すことは徹底している。これが一番大切なことだと思っている。
そもそも、塾ってのは入試で必要な知識やテクニークをガンガン覚えさせて、問題を大量にやらせて〜なんていう古臭いイメージを持ってる人が多いのかもしれない。
まあ、未だにそういう塾もあるようだけど、大学入試自体がそんな小手先のもので通用するもんじゃなくなってきてるからね。だから、うちの塾では宿題はほとんどない。授業も「理解する」というの大前提として解けるようになってもらうことを目指している。機械的作業のようなテクニックは教えてない。そういうの、あんまり知らんしな(笑)
いずれにしても、必要なものを自分のものとするための方法をしっかりと身につけて欲しいと思っている。別に勉強に限った話ではなくね。
で、冒頭の話に戻るのだが、学びの場を限定するのはナンセンスだと思う。
「〜だけで十分」なんていう言葉は詐欺だとさえ思っている。
いろんな価値観があることを知り、それぞれについて自分なりに考えて判断をする。そういうことも高校生には必要であろう。塾がすべてでもなければ、学校がすべてでもない。高校に通わなくても、大学に入る方法だってある。イモにもイモの良さがある。
盲目的になりがちな若い世代に、もっと広い世界や多様な価値観を知ってもらいたい。一歩引いて自分を客観的に捉えることも重要なんだ。
こう書いてきて、宗教勧誘の人が悪魔って言った理由がなんとなくわかる。学校という場も、かなり宗教的な要素が多い。それを批判する立場にあれば、盲目的に神を信じる人からは悪魔に見えるのかもなぁ。
結局、俺は悪魔のイモってことだ。悪魔のイモってジャガイモだよ。
そうか〜、俺はジャガイモだったんだ…。