考えることを奪う指導

今日は数学のネタを1つ取り上げましょう。中学生や小学生にも通じるネタです。
中学数学で方程式というものを学びます。
その際に、しばしば題材として取り上げられるのは道のりや速さに関する問題です。
例えば、このような問題ですね。
たかし君の家から学校まで行く途中に公園がある。普段は家から公園まで毎分80mで歩き、公園から学校までは毎分60mで歩くと全部で20分かかかる。ある日、たかし君は、いつもと同じ時刻に家を出て公園まで毎分80mで歩いてきたがそこで忘れ物に気づき毎分100mで走って家まで帰り、そのままの速さで学校まで走って行った。するといつもより2分遅く学校へ着いた。A君の家から学校までは何mあるか。
これを取り上げたのは、こうした数学の問題で起こる不条理について考えたいからです。この問題で、たかし君は、家に着いた瞬間に忘れ物を取り、瞬時に引き返すという人間離れした動きをしています。
なんていうのは冗談です笑
こうした道のりや速さに関する問題をやると、必ずと言っていいほど不思議な図を描く生徒がいるのです。

こんな図です。「みはじ」というらしいですが、意外と有名らしいですね。
そして、「み」は道のり、「は」は速さ、「じ」は時間のことらしいです。
そして、求めたいものを手で隠すと、それを求める式が得られるという魔法の図です。
そして、必ず私は「そんな図は使わない方がよい」とアドバイスします。強制はしませんが。
こういう指導が蔓延っているところに、僕は理系の危機を感じてしまうのですが大げさでしょうか?(笑)
数学が苦手な人ほど、こうした裏ワザ的なものに飛びつく傾向があるようですが、それでは根本的な解決になりません。
考えずに答えを求める方法を知っただけであって、考えるという数学の根底の部分は何も改善されないからです。
当面は、この方法で凌げるかもしれませんが、数学の本当の面白さには絶対に気づかないだろうという予想は簡単につきます。
こういう方法で解いている人は、将来的に挫折することが多いように思います。当たり前の話ですが。
定義だとか単位量といった概念に対する理解のないまま、単に正解を求めることだけを追求することの危うさを、もう少し知っておくべきだと思います。
とはいえ、こんな方法絶滅させてやる〜!とまでは思いませんけど。
ただし、しっかりと理屈に基づいて考えて解くという姿勢だけは絶対に忘れてはいけないと思います。
また、こうした方法を教える場合、生徒の考えるという大切な行為を奪っているという意識が教える側にあるかどうかが気になります。
点数がアップすりゃなんでもいいんじゃ!という人もいますが、そうではないんです。
こうした安直な方法を高校受験時に教わり、高校に入って数学が全然ダメになったという高校生が相当数います。
昨今は高校数学においてさえ、こうした安直な方法が幅を利かせていたりします。
塾生に関しても、他塾から移って来た子にはこうした生徒が多いです。
そして、一度染み付いてしまったものを取り払うのにかなりの時間を要します。
指導者はもっと責任を持って教えるべきではないかと思います。
安直な方法に対しては、適切なフォローを必ずすべきでしょう。
そして、教わる側も何でもかんでも鵜呑みにするのではなくしっかりと自分の頭で考えて判断する必要があります。
そういう批判的な姿勢も数学には不可欠です。
そして、信頼に足る指導者かどうかを見抜く目を持つことも大事なことだと思います。