この時期になると、ネット上で「掛け算の順序問題」が話題になります。毎年の風物詩なので「ああ、そんな時期になったのか」と思ってしまいます。
それと同時に、思った以上に悲惨なことになっているぞという思いも持ちます。
実はかなり歴史のある根の深い問題です。—–かけ算の順序問題
かける数とかかけられる数がどうたらこうたら、文章をそのまま立式してなんたらかんたら、と色んな主張が出てくるのですが、\(3\times 4\) は \(3\times 4\) であって、数学的にはその順序を入れ替えても成り立ちます。つまり、\(3\times 4=4\times 3\) です。しかし、問題によっては \(3\times 4=12\) はマルであり、\(4\times 3=12\) はバツになるという、とんでもない事が起こっているようです。
3や4という数で抽象化し、具体的事象と切り離せることは数学の良い点の1つだと思うのですが。数式化した時点で、個数だとか単位とかは消えて抽象化されているので、そこに文章の意味がどうたらこうたら言われてもなあと個人的には思います。
個人的には正直どっちでもいいのですが、「バツにする」というのはいただけません。それだと、教師の言ったことに従う従順な生徒か否かを調べるテストになり、数学のテストとは言えないわけです。(これを言うと数学と算数は別という人も出てきますが。)
で、試しに生徒に聞いてみたら、そういう指導を受けたという生徒もいれば、「そんなアホな先生いるの?」と直球の感想を述べる生徒もいました。つまり、先生ごとで採点の基準が違っているというわけですね。
こうした指導がどの程度行われているのかはデータもないので何とも言えませんが、こういう事象がある、というのは事実です。
とんでもねえなあ、と思いますが、塾業界も他人事ではないです(笑)
こうしたトンデモ指導であっても、見かけとしてテストの点が上がると「いい指導」になってしまう恐れがあるわけです。
そうやって、本質の部分がどんどん失われて、試験が上手な人間が量産されるという負のループが出来上がります。
そういうのもうヤメにしませんかね?と個人的には強く思っているわけです。