努力って簡単にみんな使うし、努力という言葉が好きだという人も多そうだけど、ふと何なんだろうなと思うことがある。
努力しなければダメだとか、努力を続ける人が偉いとか、努力は実るとか、いろいろ言われる。若かった頃の俺も、そういうことを言っていた。最近、ほとんど言わなくなったけど。
しかも、多くの人が言う努力というのは何となく情緒的なもの(例えば、内容は問わず時間だけをかけているものでも努力とみなされるような感じ)であって、そういうことを言われ続けて、努力すること自体が目的になってしまっている人をたくさん見るようになった。
うーん、正確に言うと歳をとってきて、そういう人が見えるようになったという方が正しいかな。
努力が必要ないとは思わないのだけど、必要以上に努力を強調するのもどうなんだろうと思うようになった。
自分のことを顧みても「ものすごく努力したぞ」と人に自慢して言えるものはないように思う。うん、ないな(笑)
人から見たら「努力してるなあ」と思われるようなこともあるかもしれないが、はっきり言って、自分で好きなことをやっているときとか当たり前のことをやっているときには、それを「努力している」なんてまったく認識していないのである。
生徒に聞いても同じようなことを言っていた。俺から見たら、すごくよく勉強していて、世間的には「努力の塊」みたいに見える生徒でも、努力しているつもりはないようだ。むしろ、そういう人に「努力してるね」というのは失礼なんじゃなかろうかとさえ思う。努力と思っているうちはダメというか・・・う〜ん、的確な表現が見つからない。
まあ、こういうのは人それぞれの価値観の問題だろうから、あれが良くてコレがダメでという話ではない。
ただ、努力という言葉でもって必要以上に生徒を追い込むのは避けたいなと思っている。努力しろと言うのは簡単なんだけど、その前に、いかに好きになってもらうか、楽しいと思ってもらうかの方が大事だなと思う。「嫌だな」という気持ちをどこかに抱えたまま、それを継続するのは精神衛生上良くないし。
それでも世の中には、「嫌なことでもやらなければならない」からそういう耐性を受験勉強で身につけるんだ、と主張する人もいるようだけど、そんな後ろ向きの受験勉強なんてまっぴら御免である。どうせなら楽しんでやりたいし、楽しさを見出せるような前向きな姿勢の方が100倍良いと思う。
そもそも、うちの生徒なんかを、努力しろとか頑張れとか言わなくても、勝手にやってるもんな(笑)そんなもんか。