——努力は実る!
どこかの予備校にこういう看板があったなあ。どこだっけ?
頑張っている人にとっては支えになる言葉なのかもしれないけど、これは真ではない。
どれだけ努力しても実らないこともある、というのが本当のところだろう。
どうも受験界隈(いや、日本そのものにもかな)には我武者羅に頑張れば結果はついてくる、という迷信がありそうだ。
結果が思うようにいかなかった場合には、努力が足りなかったという言葉が出てくるのも特徴的だなと思う。
そうではなく、分析と反省、そこからのフィードバックという考察を与えなければ意味がないと思っている。
たとえば、英単語なんかを覚える時に、10回やってみて覚えられなかった場合にどうするかである。
努力は実る!タイプの人は、10回じゃ足りなんだ100回やろう、100回でダメなら1000回やろう!などと思うのだろう。
でも、1000回なんて現実的ではないし、多分1000回やっても完璧になるとは思わない。
そうではなくて、なぜ10回やってみたのに覚えられないのだろう、と考えてみることが大切じゃないだろうか。
単語帳の並びをそのままやっても覚えられないから「意味ごとで分類してみるか」とか「派生語は全部まとめて覚えてみるか」とかいう工夫が出てこないとダメなんじゃないか、というのが俺の考えである。
あるいは、10個ずつ10回やってもすぐに忘れるから100個ずつ5回にしてみるか、なんていう転換も重要ではないだろうか。
同じことをアホみたいに繰り返して、結果できませんでした。それに対して「でもよく頑張ったね!次は頑張ろう!」なんて言うのは簡単である。あるいは「努力が足りないぞ、もっと頑張れ」というのも同様である。こういう予定調和的な指導が行われているとしたら、それは指導者がバカすぎるとしか言いようがない。
こうした分析・反省・フィードバックを日常的にやっている生徒は、自分に合った方法が洗練されていくので、どんどん成績が上がる。逆に、そういう発想がない生徒は、どれだけやっても伸びない。挙げ句の果てには、自分には能力がないと思い込んでしまう。これは非常にもったいないことだ。
量をやれば質も上がる、などというアホみたいなことを言っている人もいるが、これは先の「分析・反省・フィードバックを日常的にやっている生徒」に当てはまる話であって、そもそもそういう発想がない人は、量をやっても変化しないのである。
そこに対して適切なアドバイスをするのがプロの仕事であって、「もっと頑張ろう」なんていうのはただの素人である。
ああ、いかん、こういう話をしているとまた怒りがわいてくるじゃないか(笑)
努力したんだから結果も出るはずである、なんていうアホみたいな発想はやめよう。努力しても結果が出ないことは普通にある。そんなとき、努力が足りないと簡単に片付けるのではなく、その努力は有意義なものだったのかどうかを分析・反省してみることが大切である。もっと他に方法はなかっただろうか、と可能性を探ってみることが大切だろう。それこそが、自分の能力の幅を広げるチャンスではないだろうか。