作業と勉強の差

今日、新高2生の英語の授業で「覚えること」について生徒と話をした。

単語を覚えるのが大変だとか、文法を覚えるのが大変だという話。

学校でシス単とネクステをもらっている生徒がたくさんいるんだけど、よく「先生、全部覚えてました?」とか聞かれることがある。

基本的に、ほとんど覚えていたと思うんだけど、多分「覚える」の意味が違っている。

大体の生徒は、書いてあることをそれこそ「丸暗記」レベルで覚えようとするらしい。でも、それは単なる作業になってしまうので勉強と言えるかどうか怪しい。

自分が実践していた方法は次のような感じである。

すでに覚えているまたは覚えやすいものは、とっとと作業的に覚えてしまう。

それに対して、似たような意味を持つものを関連づける。似たものがたくさんある副詞などは、特殊なものだけ覚えておく。

熟語などは、前置詞のイメージから連想できるようなものは覚えない。連想と噛み合わないようなものだけ覚える。

こんな感じでやっていたけど、9割くらいは頭に入っていたように思う。大

事なことは、バカの1つ覚えように丸暗記を繰り返さないことだと考えている。ひたすら頑張って覚える人もいるようだけど、それは無駄じゃないかと思う。

そういうド根性的なものに対して「素晴らしい努力だ」と評価する風潮が強いけど、もっと上手にやれば時間を節約できるし、その時間で何か違うことができたかもしれないのだ。また、いくらか頭も使うことになるし良いと思うんだけどなあ。

でも、こうした工夫を「ずる賢い」なんて言う人もいるので結構驚いてしまう。

僕は、かなり面倒くさがり屋なので、単純作業で暗記するという行為がとても苦手だった。記憶力もそこまで良くない。そういう自分なりの性質を踏まえてあれこれ工夫をしてきた。そういう工夫が、いろいろと活かされていると思うし、そうした工夫が勉強にはあるべきではないかと思う。

工夫も何もなく、奴隷のようにひたすら「努力」を強いるのは、良くないと思う。まあ、それで結果が出ちゃったりするシステムそのものの欠陥とも言えるけど。

少なくとも、ちょっとした工夫ができないかと考えてみることは無駄にはならないと思う。

最新情報をチェックしよう!
>ちゃんとした数学の授業を受けていますか?

ちゃんとした数学の授業を受けていますか?

体験授業は随時実施しております。
学習相談なども受け付けております。
お気軽にお問い合わせください。

CTR IMG
error: Content is protected !!