道具の話(怒ってる)

よく、インプット・アウトプットという言葉を勉強に持ち込む人がいる。
どっかのビジネス書でもかじったのか、もしくは情報系の専門家なのか、大抵は文面から前者であると思う。
そして、アウトプットが大事だと口を揃えて言うのである。
インプットは最小限にして、アウトプットをしっかりやろう!みたいなノリである。
勉強法とかの本を見てもそうだし、塾のブログなんかでもそういうこと言う人が多い。
個人的には、インプット(入力)やアウトプット(出力)という区別なんかできないだろうと思っている。
勉強の際にはインプットとアウトプットが(仮にあるとして)両方ないと成り立たないと思っている。
仮にアウトプットを重視するとしても、そこにある危険性が認識されていないんじゃないかと思う。
これは、道具のことに置き換えてみると分かりやすいかもしれない。
インプットアウトプットと言っている人たちの考えに従ってみると、道具そのものの知識を得るようなことがインプット、道具を使って何かをするようなことがアウトプットとなるのだろう。
このとき、道具をとにかく使っているうちにその応用の仕方が分かってくるという主張だと認識している。
これを、ツールの代表としてスマホなんかで具体的に考えてみたい。
ほとんどの人がスマホを毎日使っている。説明書だとかそういったものは基本的に存在しない。
だから、ほとんどの人が直感的に操作して、なんとなく使い方を覚えていく。ここまでは分かる。
ただ、そうした使い方は偏りが出るし、スマホの機能を十分に使いこなすまでには至らないだろう。
俺も、スマホを使いこなせているとは到底思わないし。
その機能を十分に使いこなすには、やはりいろいろと使い方に関する知識を得る必要がある。
そして、その知識を使って実際に操作する。おかしなことがあれば、知識を確認する。
そうしたことを繰り返していくことで、機能を十分に使いこなせる。
パソコンも同じだ。
メールやネット閲覧やWordで文書作ってExcelで統計処理するくらいの用途では10%も使いこなせていない。
ちょっとしたプログラムの知識を持っていれば簡単なアプリを作って作業を自動にしたりもできる。
でも、知識だけでもダメだし、とりあえずやってみるか、だけでもダメなのである。
知識と実践を行きつ戻りつしながら、少しずつ使いこなせるようになるものだろう。
高級な道具は、しっかりと使い方を知っておかなければその便利さがわからない。
数学も似たようなところがある。
勉強を進めていくと、あれこれと簡単に(便利に)なっていく。
でも、不思議なことに先に進むと難しくなると思っている人が多い。
難しくなるのは道具そのものや使い方である。
それらをきちんと理解して使いこなせるようになると、難しかったことが簡単にできるようになる。
そこで、ありがたみを感じるというわけだ。
ああ、話が長くなってきたな。
とにかくね、使いこなせてもいない人が、あたかも分かったような感じでアウトプットが大事だとか言ってるのが問題だと思う。
やればやるほど、その奥深さが見えて「とてもかなわんなあ」と思ったりするのに。
そんな簡単なものじゃないというのは、やっていれば分かるはずなんだけど。
こんなことで怒っても仕方ないんだけど(笑)
ただ、そういうのに簡単に騙されて、一部を知っただけで全部を知ったようになるとマズいんじゃないかと思ったりする。