当たり前の違い

自分では「ふつうのこと」とか「当たり前」とか思っていても、実際はそうでないということは山のようにある。

食事なんかはとくにそういうのが分かりやすい。「目玉焼きに何をかけるか」とか「おでんの具にじゃがいもを入れるか」とか、そういう話になると家庭によって「当たり前」が異なってくる。ちなみに、目玉焼きにはウスターソース、おでんにはじゃがいもを入れる派である。

以前、生徒と話していてびっくりしたのは「シチューをごはんにかけて食べる」というもの。シチューは単体で食べるものとばかり思っていたので、そういう食べ方をする人が案外多いことに驚いたものである。

勉強でも生徒によって「当たり前」が全然違う。

かなり前の話だけど、体験授業を受けてもらったときに「当たり前」の違いを痛感したことがある。

基本的に、俺の数学の授業では「解き方」というものを教えることはない。

教科書内容についての解説はいろいろするんだけど、そのあとはすぐに問題を出して「さあ考えてみっか」とやるのが基本スタイルである。いろいろと考えてもらい、それらを観察した上で問題の解説をする。

塾生歴が長い生徒にとってはそういうスタイルが「当たり前」になっているので、あれこれ具体例を考えたり図やグラフをかいたりして考え始める。

ところが、その生徒は、それまで通っていた塾が最初に「解き方」を教えてそれに沿って解かせるというスタイルだったため、どうしていいか分からずしばらくフリーズしていた。

手が動いてなかったので「まず、具体的に考えてみようか」と声をかけるものの、具体例を1つ考えることもできないのである。「これがこうだったら、こっちはどうなる?」と聞いても、手は動かず黙り込んでしまう。紙に図をかいて「じゃあ、これと同じようにやってみようか」となって初めて手が動いた。

「解き方」から入るような授業もあることは理解できるし、すべてを否定する気はないけれど、やはり生徒から「考える時間」を奪ってしまうとこういう事態を引き起こす可能性があることを実感した。

結局、その生徒は「何も教えてもらえない」という理由で塾には入らなかった。まあ、言いたいことはたくさんあったけど、おそらく伝わらないだろうなと思って何も言わなかった。

「当たり前」の違いは、いろいろなところで起こる。そして、時にその「当たり前」という感覚が視野を狭めてしまったり、排他的な考え方を生んだりすることもある。これは、自分のことを考えても大いに当てはまる。

なるべくニュートラルな視点を持ちたいとは思うけど、難しんだなあこれが。特に若い頃はいろいろと鼻息が荒かった時期もあったし。

ただ、「当たり前」は「当たり前でない」ということが年を経てある程度は分かるようになってきた。歳を重ねるってのも悪くはないかもね(笑)

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