テストに出ないところに重要なものが

この前、高校1年生の生徒から数学の勉強について質問を受けたときの話。

前もって「定理の証明なんかは一回自分でやっておくといいよ」という話をしておいたのだけど・・・。

「これってテストに出ますか?」と後日聞かれた。

テストに出ないなら、やっても意味がないということなんだろう。

その生徒には、テストに出る出ないで判断してたらダメだということを厳しく言っておいた。

 

こういう生徒は案外多くて、そのようなテストに出る部分を優先的にやる方法を「効率のいい方法」だと思っているようなところがある。

もちろん、定期テストのようなものであればそうした方法が有効なこともある(それでもダメだと思うけど)。

しかし、そのような方法では「穴」が至る所にたくさんできてしまうことになる。

本来、繋がっていくべき知識が散在してしまい、1本の線になるものが点で終わってしまう。

そうなると、後々困ったことになるのだけど、その手の生徒にとっては「テストに出る」ということの方が重大であるらしい。

こういうのも「高校入試を乗り切るだけの勉強」の負の遺産だろうなあと思ってしまう。

 

塾の授業の中では、テストに出ないことをたくさん扱うし結構細かく説明をすることが多い。

長く塾に通っている生徒であれば、そういう部分こそ大事だということを身を以て知っているから、授業でもその手の話は集中して聞いている。

ところが、入塾したての生徒や転塾してきた生徒の中には「テストには出んのやろ」みたいな感じで聞いてる生徒もいる。

確かに入試の数学の問題には、そんなにたくさんの知識を必要とする問題は多くはない。

それでも、テストに出ない部分でもきちんとやっている生徒ほど本番で確実に力を発揮するように思う。

おそらく、思考のベースがしっかりとしているからであろう。見たことのないような問題であっても、粘り強く考えることができる生徒が多い。

これは、何も数学に限った話ではなく、国語や英語などでも同じである。

国語なんか文章の読み方云々以前に、一見無駄に見える知識をたくさん持っている生徒の方が出来がいいように思う。

実際に使う知識などは限定的なものかもしれないが、それを含む潜在的な知識の集合体がしっかりしている人ほど能力を発揮できる傾向が強いように見受けられる。

中学生に英文法を文型から指導しているのもそういう理由だし、公式の証明などをきちんとやるのも同様である。

 

効率よくやろうという気持ち自体は大事であるけれど、本質的なことを見失っては意味がない。

テストに出る出ないという選別で得た知識は継ぎ接ぎだらけのものになる可能性が高い。後からそれらを繋げようとしても、無駄に時間がかかってしまったりする。

そうではなく、きちんと線となるような知識を身につけていく方が最終的には効率が良いのである。

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