授業外の自習時間に生徒がどんなことをやっているのか、よく観察しています。
無意味な作業に陥っていないか、必要ないことをやっていないか、といったことを確認するのも仕事の1つです。
自習をしている生徒の中に、たまにいるのが「解ける問題を繰り返しやっている」生徒です。
なんて声をかけるのですが
などと説教されてしまうこともあります。ぐぬぬ。
ということがあったりします。
聞いてみれば「友達とかみんなそうやってるし」とか「ネットにそう書いてあって・・・」なんて返ってくることもあり、敗北感にどっぷりと浸かることになります。
できる問題は、もうできるんだからやらなくていい。
忘れそうな頃合いに復習すればいい。
というスタンスなのですが、どうもそれを受け入れてくれない層が一定数存在します。
で、授業の時などにちょっと難しめの問題を出すのですが、そうすると当然できないわけです。
できる問題を繰り返したところで「これはできるぞ」ということしか得られないわけで、そうでない問題には手も足も出ないという、なんだかなあ状態になっていたりするのです。
こういう生徒の問題点は、「できる」という状態を確認して幸福感を得ているということです。
いわゆる「解けたら嬉しい」という感情で勉強を進めているタイプです。
あるいは、褒められるために勉強してきた・叱られないために勉強してきた、といったタイプもこうした傾向があります。
もちろん「解けた、やったぞ!」という感情はあるに越したことはないのですが、個人的にはそんなレベルで勉強するのは卒業してほしいなあと思うわけです。
解ける解けないという話ではなく、「ああ、こういうことか分かったぞ」という確信を得ることに重きを置いて欲しいなあと考えています。
解けない問題があるということは、その中に理解できていない部分が潜んでいて、そこをクリアにすることで一歩前進できるわけです。
その一歩を実感しながら勉強を進めてほしいなと思っています。
そういう意味では、解ける解けないというのは、理解できているかどうかの判断材料に過ぎないわけです。
そこに一喜一憂する気持ちも分からないわけではないのですが、もう一歩先を見据えてほしいなと思います。
まあ、こういうことも地道に繰り返し伝えていかないとダメですね。