というわけで、今日は塾長の思い出話も兼ねて、18歳のド田舎の高校生が大学受験の直前期に何をしていたかという話でもしようかと思います。
ちなみに、どうでもいいことですが、今日の記事はiPadと専用のキーボードを利用しております。いつものパソコンとは使い勝手が違うので、誤字脱字がいつも以上にヒドい可能性があります。ははは。
さて、私は受験直前だった1995年の12月、センタープレを受けてなかなかに絶望的な点数を叩き出しました。当時はリスニングがなかったので、純粋な900満点のテストだったわけですが、確か6割あるかないかくらいの点数だったと記憶しています。500点台前半です。
志望大学のボーダーは8割くらいだったので、カスリもしないE判定でした。はっはっは。当時は笑い事ではなかったはずですが、いま思い返せば笑わずにはいられません。
何せ、その時点で古文・漢文・世界史にほぼ手をつけていないような状態でしたからね(笑)
古文・漢文はあわせて10点あるかどうか、世界史も10点台という惨状でしたね。
確か、本番の得点計画では数学200点、物理90点、化学80点、英語180点、国語150点、世界史20点というアホなことを考えておりました。恥ずかしい。
しかし、センタープレではほぼ全ての教科が予定以下の点数でした。まあそりゃそうだ(笑)
そして、絶望した私は、学校帰りにふらっと海を見に行きました。冬の瀬戸内海を眺めながら、一体俺は何をやっていたんだろうという自責の念に駆られつつ「うわあ、高校3年間をやり直してえ!」と海に向かって叫んだとか叫んでないとか。
とはいえ時間は巻き戻せません。
ダメだったら浪人しようと固く心に決め、残りの時間を可能な限り勉強に費やすことに決めたのです(今さら感)。
冬休みは狂ったように古文と漢文をやり、少なくとも半分ずつくらいは取れるようにしてやろうと、マドンナ先生の写真を穴があくほど眺める日々でした(違う)。
ともかく、極限まで追い込まれた私は、それまで使っていなかった驚異の集中力を発揮し、冬休みの10日間ほどで半分くらいの点数は取れるようになったわけです。
あとは世界史をそれなりに取れるようにすればいいぞ!となりましたが、たかだか1〜2週間で完成させられるほど世界の歴史は薄っぺらいものではありません。結局、定期テスト前夜の一夜漬け状態で本番を迎えることになりました。まあ、もともと世界史を選択した後でカタカナが全然頭に入ってこないことが判明していたので、半分は諦めていましたが。
さて、そんなドキドキハラハラ感で本番を迎えることになるのですが、センタープレが悪かったこともあり、心の半分はすでに浪人確定のような諦めの気持ちでいました。
それが良かったのかどうかはわかりませんが、多少の事故を起こしつつも何とか目標の8割をゲットすることに成功したのです。
やはり、最後の最後まで粘ってみるものだなと思った若き塾長でした。ただし、その後に大きなしっぺ返しを食らうことを、その時の私はまだ知る由もありませんでしたが・・・。
直前期でいろいろと思い悩んでいる人もいると思いますが、それも20年経てば良い思い出になるものです。なので、思い切り悩んでみるのもいいかもしれません。不合格は嫌だ!と思っている人もたくさんいるかもしれませんが、不合格が失敗だとは限りません。合格も不合格も1つの経験にすぎないと、20数年前に不合格になった私はいま思うのです。