
問題は典型的なもので、次のようなものです。

\begin{enumerate}
\item 点Dの座標を求めなさい。
\item 点Eの座標を求めなさい。
\item $\mathrm{AE:CD}$を求めなさい。
\end{enumerate}
この問題を解いてもらうと、(2)の問題をどのように考えるかという部分で結構割れます。
2点A、Dの座標が分かっているので、ちょちょっと暗算で直線の式を出して欲しいなというのが個人的な思いとしてあります。
実際に、そのような考え方は授業で何度もやっていることです。しかし、多くの生徒が連立方程式を経由して直線の式を求めるという考え方に固執しているというのが現状です。もちろん、それで正解しているし、数学的には別に間違ったことをしているわけではありません。しかし、直線についての理解が深まっているとは思えないのです。

確かにもう少し印象強く教える必要があるのかなと思いますが、これまではあまりそんなことがなかったので、どうなんだろうなあという思いがありました。
これについていろいろ考えていたところに、Q先生のブログでも似たような話が出ていました。
ここ数年、とくに強く感じるのが「こうしたらいい」という安直に答えが求まる方法に頼るだけで「考える」ということを面倒なことだと思っている生徒が増えているということです。
こういう生徒は、「考えない」ために結果的に逆に面倒な方法に固執しているわけですが、それに気づいていないように思います。
「そっちの方が面倒じゃない?」と聞いてみたり、別の方法を提示してみたりするのですが、「え〜そっちの方が面倒」なんて言われてしまうケースもかなり多くあるのです。
私は、「自分がやっていることに対して何かしらの疑問を持つ」ということが勉強をやる上で欠かせないものだと思っています。
もっと楽な方法はないか、とか、これって結局何をしてるんだろう、なんていう問いを自分に対して向けることは、勉強に限らず大切なことだと思っているのですが、そういう風に考えることが面倒なこととして認識される傾向が強くなっているようです。
Q先生のブログを読みながら、今年は生徒からの質問が少ないなと思っていた原因が少し分かったような気がします。
自分で自分に対して問いを立てられる生徒が減っているのでしょう。
そういう生徒にこちらからガンガン問いを与えるべきか、あるいは、自分で問いを立てられるような習慣をつけさせる方法を模索するか、またまた悩みのタネができてしまっております。
