てなわけで国立後期の発表も終わり、これで入試関連は落ち着いたかなという感じです。1教室でしかも基本的に数学しか教えてない塾としてはそれなりの実績だったんじゃないかと思っています。ただ、どの大学に何人受かったかなんていうのは単なる結果にすぎないので、あまり興味はありません。それよりも、大学へ進んでもそれぞれの場所でしっかりと学んでくれたらいいなあと思います。そっちの方が私としては喜ばしいことです。みんな頑張ってね!!
さて、入試が一段落する一方で新年度の生徒たちも早速スタートを切っています。
新高1生たちはまだ授業はスタートしておりませんが、自習をしに塾にやってきて入学前の課題をちまちまやっております。
その様子をこっそりと眺めてるわけですが、やはりいろいろとアドバイスをしていかねばなりません。
昨年度の経験から、転塾してくる生徒が抱える問題点はおおよそ把握できているのですが、そうした問題点を取り除くにはかなり時間がかかります。
準備講座でもそのあたりについてはお話ししたのですが、当然ながら簡単にはうまくいかないわけです。
とくに、この時期は入学前の課題として与えられる問題集をやることになるのですが、解いて解説を見て答え合わせをして、といった一連の行為が作業のように流れていってしまう人が多く見られます。
間違えたところは何回も繰り返し解いて解き方を叩き込んでいく、というものが骨の髄まで染み込んでしまっているような印象を受けます。
これについては、先日、Twitterでフォローさせていただいている方からちょっと気になるツイートが流れてきました。
【 数学の問題集「サクシード」を使う高校の学生へ 3回転以上してほしい できれば4回5回 】 https://t.co/awg0uwXpyf
うーん,数学や物理に関して言うと,原理原則を知らないまま何回もやることは大反対です。— ジョゼフ・アンリ (@joseph_henri) March 22, 2019
こうした方法が全てダメとは言いませんが、少なくとも理系科目を学ぶ上では悪手であると言わざるを得ません。
「きちんと数学を学んだ人」であれば、こうした方法がいかに無意味なものであるかは分かるでしょう。
目の前のテストでとりあえず点を稼ぎたい人には良い方法かもしれませんが、数学をきちんと理解したい人にとってはむしろその後の悪影響の方が大きいのです。
断っておきますが、私は演習が必要ないと言っているわけではないのです。
ただ、演習すること自体が目的となるような思考がマズいと思っているのです。
上記の○回転もその一例です。○回転することが目的となってしまう人がたくさん出てくるのです。
こうした思考の派生として「○○をやっておけば〜大学のレベルまではいく」といったような参考書の捉え方をしてしまう人も現れます。
確かに「何を学ぶか」ということは抽象的になりがちなので、「何をするか」ということに置き換える方が分かりやすいのかもしれません。
しかし、その置き換えが本来の目的を失ってしまっては意味がないのです(これは仕事でも同じですね)。
いずれにしても、勉強の方法については人によって様々な方法があるわけです。
どれが良い方法でどれが悪い方法だというのは一概に言えることではありません。
上記のような繰り返しやる方法であっても、その中で様々な発見ができるような人であれば理解することも可能でしょう。
しかし、そうでない人にとっては繰り返しやっても理解が進まないのは苦痛に近いものであり、それに対して「もっと繰り返さないとダメ」というのは完全に思考が停止した状態であると言えます。そして、やっている本人は結局「私は数学が苦手なんだ」とか「才能がないんだ」という思いを持つようになるのです。これは完全に「数学嫌いにされてしまった」典型例です。もしかすると、そのような経験を持っておられる方も多いのではないでしょうか。
本来、数学を学ぶこと、あるいは何かを理解するというのは面白い体験であるはずです。そうでないものになっているとしたら、何か間違った先入観にとらわれているのかもしれませんね。