ここ最近は夏期講習の準備をチマチマとやっております。
去年のテキストを使おうかな〜と思ったのですが、今年は生徒の状況も違うためイチから作り直しています。
が、例によってすぐに煮詰まってしまうポンコツ頭のため、気分転換に場所を変えてみたり音楽をかけてみたりとアレコレやりつつ高クオリティになるように頑張っています。
最近の仕事中の音楽はコレです。カッコいい!!
さ、そんなわけで作業をしつつTwitterをチェックしていたら結城先生から興味深いTweetが流れてきたので紹介しておきます。
スドーさんのこれはまったくその通りです。ところでこれとはまた別のトラップもあると最近よく思います。(続く)https://t.co/Y12xv9MuAP
— 結城浩 (@hyuki) June 21, 2019
私も生徒に対して概念を理解するっていうことを軽く考えてはいけないという主旨の発言をよくします。
数学では新しい概念がどんどん出てくるわけですが、それを理解して自分のものとして獲得するというのは簡単なことではありません。
ちょっと教科書を読んですぐに問題をやってみて解けたらOKなんていうとても雑な勉強をしている人も大勢います。また、問題集を何周すればOK(何がOKなのか知りませんが)というのもよく聞く話です。こうした方法は、単純にテストの点数を上げるためには効果があるので多くの中高生が罠にかかってしまいます。しかし、点数は上がってもほとんど何も理解していない状態であるため、同じ問題を角度を変えて出題すると途端にできなくなる人が続出します。で、最終的には初歩からやり直しということになって逆に遠回りになってしまったりするんです。
正しく理解できたものであれば演習を積み重ねることで、より理解が深まったり作業のスピードが上がったりと演習の効果が高くなるわけです。スポーツのトレーニングなどでも同じだと思います。分かってやる練習と何も考えずにただやるだけの練習では効果が全然違うはずです。
とくに数学においては、あれこれと考えることを避けては通れません。それも、ただ考えるというものではなく、自分の中を掘り下げていくような思考が必要です。私がよく使うのは深く沈むような思考という表現です。ただひたすら自分と会話をしながら、どこまでは理解できてどこからが分からないのかを慎重に線引きしながら、少しずつその線を進めていくような感じです(もちろん頭と手を使いながらですよ)。こういう思考を続けていると、ある瞬間にスッと視界が開けるようなことが起こったりします。「あ〜なんだそういうことか!」みたいな瞬間です。
こういう経験が数学の(数学に限った話ではないですが)面白さや深さを与えてくれるものだと思うのですが、そこまでたどり着かない人がかなり多いように思います。そうした人からしてみれば、この深く沈むような思考は「面倒くさいもの」に過ぎず、問題なんて解ければそれでいいということになるのでしょう。そうして、手際よくラクに解ける方法を覚えることが数学だという主張につながっていくのかなと思ったりします。
試験で点数が取れていればそれでOKという人にはそれでいいのかもしれませんが、非常にもったいないなあと思っています。