至誠塾での15年間の指導を振り返ってみて〜「スパルタ指導」を捨てて、私が本当に伝えたかったこと

この記事は、本来であれば至誠塾の10周年に合わせて公開するはずだったものです。
2020年に途中まで書き、「あとで少し直してから公開しよう」と下書きに入れたまま、すっかり忘れていました。先日、過去の記事を整理していたところ、その下書きが出てきたのですが、気づけば10周年どころか、15年目も終わろうとしています。
ずいぶん長い間寝かせたものです(笑)。別に熟成されておいしくなったわけではありません。
ただ、当時書いた文章を読み返してみると、その頃に考えていたことや迷っていたことを、いろいろと思い出しました。もちろん、この5年間でも私の考えは少しずつ変わっていますので、当時の文章をそのまま公開するのではなく、至誠塾を始めてからの15年間を、今の自分から見て書き直してみることにしました。
至誠塾を始めた頃のこと
至誠塾を開業したのは、2011年1月27日です。
開業届を税務署に出しに行った日のことは、今でもよく覚えています。一応、塾講師としての経験はありましたが、自分で塾を始めるとなると話は別で、生徒が来るのか、家賃を払っていけるのか、そもそも塾として成り立つのかと、まあ、不安しかありませんでした。
最初の教室は、とにかく寒い教室でした。
1階に入っていた会社が営業している間はまだよいのですが、会社が閉まると足元から冷気が上がってきて、冬場は暖房をつけていても、なかなか教室が暖まりませんでした。
当時はホワイトボードではなく、小さな黒板とチョークを使って授業をしていました。板書をするとすぐに黒板がいっぱいになるため、書いては消し、書いては消しの繰り返しで、授業が終わる頃には右腕が上がらなくなっていました。
途中から大きな黒板に替えたのですが、黒板が大きくなると、当然、消す面積も増えます。何をしているんでしょうね(笑)。
そして、開業したばかりですから、生徒もほとんどいません。生徒が来るまでの時間は教室で一人、プリントを作っていました。当時作ったものの中には、形を変えながら、今も教材の一部として残っているものがあります。
自習室の窓からは、きれいな夕日が見えました。当時、自習に来ていた生徒と一緒に、窓から夕日をぼんやり眺めていたことがあります。
生徒が少ないことへの不安と、これから塾を作っていくことへの期待と、いろいろなものが混ざった時期でした。

結果を出さなければならないと思っていた
開業当初、生徒は両手で数えられるほどしかいませんでしたが、1期生の高校入試では、泉丘高校に4名、二水高校に1名、星稜高校に1名が合格しました。
初年度としては、本当にありがたい結果でした。
ただ、この1期生への指導については、今でも少し申し訳なさが残っています。
当時の私は、「初年度から結果を出さなければ、この塾は続かない」と考えていました。実際、その通りだった部分もあると思います。開業したばかりの、名前も知られていない塾ですから、ある程度の結果を出さなければ、次の問い合わせにはつながりません。
そのため、生徒たちにはかなり多くの課題を出しました。宿題を出し、確認し、できなければやり直させ、家庭での勉強まで細かく管理していましたが、生徒たちは本当によくついてきてくれました。
当時の指導が、すべて間違っていたとは思いません。それによって力をつけた生徒もいますし、実際に結果も出ました。
ただ、今の自分が同じ生徒たちを指導するとしたら、もう少し違うやり方をするだろうと思います。合格することだけではなく、その先に何を残せるのかというところまで、当時は考える余裕がありませんでした。
あの1年は、生徒たちだけでなく、私も必死でした。もう一度同じことをやれと言われても、たぶんできません。白髪もずいぶん増えましたし(笑)。
入試結果が口コミとなり、少しずつ問い合わせも増えていきました。そして、この「たくさんやらせれば結果が出る」という経験が、その後の私の指導に少なからず影響したのだと思います。
結果が出たからこそ、「この方法でよい」と思ってしまったのです。
教室の移転と、少しずつ変わっていった指導
開業から5年ほど経ち、生徒数が増えて最初の教室が手狭になったため、金沢駅前の教室へ移転しました。足元から冷気が上がってくる教室とも、ようやくお別れです。
駅前の比較的目立つ場所に移り、教室も広くなったので、「少し塾らしくなってきたなあ」と思ったのを覚えています。

移転後は生徒数も増え、塾の運営は少しずつ安定していきましたが、その一方で、指導を続ければ続けるほど、自分の指導に対する疑問も増えていきました。
たくさん問題を解かせれば、点数は上がります。よく出る解法を覚えさせれば、入試問題もある程度解けるようになります。学校の定期テストや入試で結果を出すだけなら、それなりに有効な方法です。
だからこそ厄介なのです。
結果が出るので、教える側も、教わる側も、「これでよい」と思ってしまいます。私も、長い間そう思っていました。
数学を教えているはずなのに
指導法が変わったきっかけは、一つではありません。
毎年いろいろな生徒を見ている中で、それまでの指導に対する違和感が、少しずつ大きくなっていきました。
ある年、中学校ではトップクラスの成績だった生徒が、高校に進学してから相談に来ました。数学Ⅰの三角比がまったく分からないというのです。
$\sin$、$\cos$、$\tan$が何を表しているのか、イメージがつかないんです……
そこで学校の先生に質問したところ、本人の話では、こう言われたそうです。
理屈はいいから、この表を覚えておけば十分。
有名角の三角比の値が並んだ表を渡されただけだったとか。
(心の声)わしの高校時代から何も変わっちょらんのう……
もちろん、実際の授業でどのような説明があったのか、私には分かりません。ただ、三角比の意味を知りたいと思って質問した生徒に対して、覚え方だけが返ってきたのであれば、ずいぶんもったいない話です。
せっかく「これは何なのだろう」と考えようとしているのに、その疑問を閉じさせてしまっています。
私自身、高校生の頃には、同じような数学の教わり方をしていました。理由はよく分からないけれど、この問題ではこの公式を使うらしい。テストに出るから、とりあえず覚える。
それでも、テストではある程度点数が取れます。しかし、少し形を変えられると分からなくなります。そもそも何をしているのか理解していないので、当然といえば当然です。
塾で生徒の答案を見ていても、同じようなことが何度もありました。
例えば、$2x^2-x-1=0$ という2次方程式があります。
少し式を見れば、$(2x+1)(x-1)=0$ と因数分解できますし、左辺に$x=1$を代入すると$0$になるので、左辺が因数$x-1$をもつことも分かります。
ところが、問題を見た瞬間に、解の公式へ数字を当てはめ始める生徒が少なくありません。
「因数分解できないか考えなかった?」
と聞くと、
解の公式なら必ず解けるから、そっちのほうが安心で……
もちろん、間違った方法ではありません。ただ、式を何も見ず、何も考えず、決められた処理を始めていることには、少し危うさがあります。
高校生に、$|x-1|<-1$ という不等式を出したこともあります。
絶対値は必ず0以上なので、左辺が$-1$より小さくなることはありません。したがって、問題を見た時点で解がないと分かります。
ところが、$x-1\geqq0$の場合と、$x-1<0$の場合に分けて、丁寧に計算を始める生徒がいます。計算した結果、解がないことは確認できますが、そこで「そもそも計算する必要がなかったのではないか」と振り返る生徒は、あまり多くありません。
答えが合っていれば、それで終わりです。
軌跡の問題でも、すべて同値変形で進めているのに、答案の最後に必ず「逆に、このとき……」と書く生徒がいます。必要な理由を聞いても、「最後にこう書くように教わったから」「書かないと減点されると言われたから」という返事が返ってきます。
もちろん、逆の確認が必要な問題はあります。ただ、必要かどうかを考えず、答案の書き方だけを覚えているのであれば、それは数学を考えていることにはなりません。
こうした生徒たちの姿を見ているうちに、「もしかしたら自分も同じことをやらせているのではないか」と思うようになりました。
スパルタ指導をやめた、というより
かつての至誠塾では、「自己に厳しく」という言葉を掲げ、かなり厳しい指導をしていました。
市販の参考書を片っ端から買い、入試で使われる解法やテクニックを調べ、それを生徒に教えていた時期もありました。宿題も多く出していましたし、家庭学習もハードにし、「入試で解けない問題がない状態を目指そう」というようなことも言っていました。
今から考えると、ずいぶん無茶なことを言っています(笑)。ただ、当時は本気で、それが生徒のためになると思っていました。
そんなあるとき、受験を終えた卒業生から、「もう二度と勉強したくないわ」と言われたことがあります。
おそらく、軽い調子で言った言葉だったと思います。それでも、私は少し考えました。
入試には合格した。目標としていた高校にも進学できた。しかし、その結果、勉強そのものが嫌いになっている。それで本当によかったのだろうか、と。
もちろん、この一言を聞いた翌日から、突然すべての指導を変えたわけではありません。生徒の答案を見たり、自分自身が数学を勉強し直したりする中で、それまで感じていた違和感が、少しずつはっきりしていきました。
たくさんやらせること自体が悪いわけではありません。必要な演習量はありますし、受験前には、ある程度の負荷をかけなければならないこともあります。
ただ、量をこなすことによって、生徒が考えなくなっているのであれば意味がありません。解法を覚えることによって、その問題だけが解けるようになっても、少し形が変われば、また分からなくなります。
そして何より、「勉強は誰かにやらされる苦しいものだ」と思わせてしまったら、その先に続きません。
そこで、少しずつ宿題を減らしました。家庭学習を細かく管理することもやめ、参考書に書かれた受験テクニックを集めるより、数学書を読んで、定義や理論をきちんと確認するようになりました。
学生時代よりも、今の方が真面目に数学を勉強していると思います。少し遅すぎる気もしますが(笑)。
自分で考えられるようになるために
宿題を減らし、解法を教えすぎないようにすると、当然、すぐには進まなくなります。生徒が考える時間が増えるからです。
こちらが方法を教えてしまえば、数分で終わる問題に、10分、20分とかかることもあります。効率が悪いように見えるかもしれませんが、その時間に、生徒は具体例を作ったり、図を書いたり、条件を整理したりしています。
うまくいかなければ、別の方法を試します。そうして自分で見つけたことは、思った以上に残ります。

数学が得意になるのは、最初から頭の回転が速い生徒だけではありません。むしろ、すぐに答えが出なくても、具体例を書いて確かめたり、自分の手を動かしたりできる生徒は、少しずつ力をつけていきます。
私が授業中によく言うのは、
まず状況を確認をしよう!
ということです。
一般の場合が見えなければ、まず簡単な数で試してみる。図形の性質が見えなければ、実際に図を書いてみる。数列の規則が分からなければ、最初の何項かを自分で並べてみる。
こうした作業は、あまり格好よく見えないかもしれませんが、数学を考えるうえでは、とても大切な作業です。
最初から美しい解法が思いつく必要はありません。いろいろ試した結果として、少しずつ構造が見えるようになります。
テストの点数だけを見て、「自分は数学が苦手だ」と決めつけている生徒がいますが、点数が低いことと、数学を考える力がないことは、同じではありません。
これまで見てきた中にも、最初は成績がそれほど高くなかったものの、具体例を作り、自分で確かめる習慣を身につけたことで、大きく伸びた生徒が何人もいます。
反対に、解法を覚えることだけで高得点を取ってきた生徒が、高校数学で急につまずいてしまうこともあります。数学では、覚えていることの多さだけでなく、分からないものにどう向き合うかが問われます。
数学が少し違って見える瞬間
私自身、高校生の頃に解いた問題で、今でも覚えているものがあります。
$(a+b+c)^3-a^3-b^3-c^3$ を因数分解する問題です。
高校1年生の頃に初めて見たときは、ひたすら展開して整理するという地道な方法でやり、かなり苦労しました。その後、高校3年生になって同じ問題を見たときには、式の対称性や、代入したときの変化が以前より見えるようになっていました。
高1の頃には、ただ複雑な式にしか見えなかったものが、少し違って見えたのです。そのとき、「ああ、少しは数学ができるようになったんだな」と実感しました。
問題が解けたことよりも、以前とは見え方が変わっていたことがうれしかったのを覚えています。
数学を勉強していると、これまで別々に覚えていたことが、あるときつながることがあります。以前は意味が分からなかった定義が、別の単元を学んだあとに分かることもあります。
すぐに分かることばかりではありません。数か月後や、数年後になって、ようやく分かることもあります。
私は、その感覚が数学の面白さの一つだと思っています。
数学の勉強で残るもの
よく、「2次方程式の解の公式なんて、大人になったら使わない」と言われます。
実際、日常生活で
$$x=\frac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}$$
を使う機会は、ほとんどないでしょう。
ただ、数学を勉強する意味は、この公式を一生覚えておくことではありません。
分からないものが出てきたときに、まず条件を整理する。言葉だけでは分かりにくければ、図や表にする。一般的なことが見えなければ、簡単な例で確かめ、自分の考えが正しいかどうかを別の方法でも確認する。あれこれやりながら、一般的には何が言えるかを自分で導いてやる。
うまくいかなければ、どこで考え方がずれたのかを探す。
こうしたことは、数学以外の場面でも使います。公式そのものを忘れても、分からないものを理解するために試行錯誤した経験は残ります。
少なくとも私は、入試が終わった瞬間に何も残らなくなるような勉強にはしたくありません。
こうして指導について考え続けてきた一方で、この15年間には、塾を続けること自体が難しくなるような出来事もありました。
コロナ禍で迎えた10年目
この文章を最初に書こうとしていた2020年、至誠塾は開業10年目を迎えていました。
しかし、実際には記事を書いている場合ではありませんでした。
新型コロナウイルスの感染拡大によって学校が休校となり、塾でも対面授業を続けられなくなりました。春の生徒募集もほとんどできず、それまで比較的順調に運営してきただけに、正直なところ、廃業という言葉も頭をよぎりました。
ただ、生徒たちが教室に来られないのであれば、別の方法で授業をするしかありません。
教室に来れないなら、ネットで繋げばいいじゃん!
すぐに配信機材を集め、オンライン授業の環境を作りました。いろいろなアプリを試し、電子黒板として使っていた機材を流用し、試行錯誤しながら授業を続けました。
今では欠席者向けに授業を配信することも珍しくありませんが、当時は何も分からないところからのスタートでした。

大変な時期ではありましたが、あの経験があったからこそ、授業の録画やオンラインでの対応が、今の至誠塾にも残っています。
地震による、もう一度の移転
そして、2024年1月1日に能登半島地震が発生し、金沢市内もかなり揺れました。
幸い、生徒たちにけがはありませんでしたが、当時の教室が入っていた建物は、倒壊の危険があるとして退去することになりました。
教室の中は、物が倒れたり落ちたりしていました。壁にはいくつもの亀裂が入り、勝手口の鍵が閉まらなくなり、建物の入口もずれてシャッターが閉まらなくなりました。

いい感じで安定していたのに、また移転かあ……(笑)
しかし、生徒たちの授業を長く止めるわけにはいきません。毎日物件情報を見ながら移転先を探し、現在の西念の教室へ移りました。

15年前の開業時と同じように、慌ただしく荷物を運び、新しい場所で授業を再開しました。
ただ、開業した頃ほどの不安はありませんでした。場所が変わっても、そこで私と生徒が数学について、ああでもない、こうでもないと話していれば、至誠塾の授業になります。
15年間続けてきて、そのくらいのことは分かるようになりました。
まあ、大抵のことは、何とかなるものです。

これからの至誠塾
お盆や正月になると、今でも卒業生が顔を出してくれることがあります。
成績が良かった生徒もいますし、なかなか結果が出ず、苦労した生徒もいます。途中で塾を離れた生徒もいますが、それでも、一人一人のことをよく覚えています。
卒業生から、「この塾に来て人生が変わった」と言ってもらうことがあります。
ありがたい言葉ですが、私はたいてい、
変えたのはあなた自身ですよ!
と返します。
塾ができるのは、考えるためのきっかけを作ったり、選択肢を増やしたりするところまでです。最後に考え、選び、行動するのは本人です。
至誠塾も、この15年間でずいぶん変わりました。教室の場所も変わりましたし、指導法も変わりました。私の白髪の量も、体重も変わりました(笑)。
それでも、授業が終わったあとに、「あの説明は、本当に伝わったのだろうか」「あそこは、もう少し違う問い方ができたのではないか」と考えることは、開業した頃からあまり変わっていません。
15年間やってきたからといって、正しい指導法がすべて分かったわけではありません。生徒は一人一人違いますし、同じ説明でも、伝わる生徒と伝わらない生徒がいます。
以前はうまくいった方法が、別の生徒には合わないこともあります。
おそらく、これからも迷いながら指導を続けていくのだと思います。ただ、以前よりはっきりしたこともあります。
結果を出すために、生徒から考える機会を奪わないこと。
理由を知りたいという疑問を、「覚えればよい」で終わらせないこと。
勉強を、誰かにやらされるだけのものにしないこと。
そして、入試が終わったあとにも、何かが残るような学びにすること。
このあたりは、これからも大切にしていきたいと思っています。
至誠塾は16年目に入ります。
大きなことを言うつもりはありません。目の前にいる生徒と一緒に考えながら、少しずつ、よりよい授業を作っていきます。


