学び続けるということ

ここまで、試験対策と勉強について書いてきました。今回はいよいよ最終回です!
試験対策には意味があります。ただ、それが勉強のすべてになってしまうと、解き方を覚えて再現することばかりが優先され、自分で考える時間が少しずつなくなっていきます。
前回は、私が考える「本来の勉強」というものについて、そんなところまで書きました。
では、なぜそこまでして、自分で考えることや、理解することを大切にするのでしょうか。
試験で点を取るだけなら、もっと効率のよいやり方があります。よく出る問題を覚えて、必要な公式を使えるようにして、似た問題を繰り返す。それで十分な場面もたくさんあります。
それでも私は、勉強をそれだけで終わらせたくありません。
理由は単純で、学校を卒業したあと、試験がなくなったあとも、分からないことはなくならないからです。
大人になっても、分からないことばかり
子どものころは、大人になれば、ある程度いろいろなことが分かるようになると思っていました。
しかし、実際には、そんなことはありませんでした。
大人になったみなさんであれば、分かっていただけると思います。そもそも、自分は大人になったのだろうか?ということも含めて。
仕事をしていれば、知らない制度や新しい仕組みに出会ったり、人との関わり方も相手によって変わったりします。以前うまくいった方法が、いつもうまくいくとは限りません。
塾をやっている私自身もそうです。
教え始めたころと今とでは、生徒の様子も違いますし、学校の環境も大きく変わっています。
以前は、こちらが板書をしながら順番に説明していけば、それで十分理解できる生徒が多かったように思います。
でも、今は同じように説明していても、途中から話が入らなくなってしまう生徒も増えてきました。分からないことがあると、少し考えるより先に答えを求める生徒もいます。
以前と同じ授業をそのまま続けるわけにはいかないな、と毎年のように反省することになります。
どこで立ち止まらせるのか、どこまで自分で考えさせるのか。逆に、ここは説明した方がよいのではないか、と迷うこともあります。
やってみてうまくいかなければ、また変えて。結局、今でもそんなことの繰り返しです。
大人になったら勉強しなくてよい、なんてわけにはいかないのです。
まあ、今になってこんなにホームページの作成方法やら広告の案内文やらを調べることになるとは、学生のころには思ってもいませんでしたが笑。
しかも、最近ではそれらをAIを駆使して作るなんていう世の中に変わってきています。
学校を卒業すると、誰かが教科書を用意してくれるわけでもなく、試験範囲を決めてくれるわけでもありません。何を知る必要があるのかも含めて、自分で考えなければならなくなります。
学校の勉強には、答えがある
学校で扱う問題の多くには、答えがあります。
数学なら求める値が決まっていますし、試験の採点基準もあります。教科書には、学ぶ順番まであらかじめ用意されています。
考えてみれば、学校の勉強というのはかなり親切に作られているわけです。
分からなければ先生に質問できますし、問題集を開けば似たような練習問題ものっています。
ところが、大人になってから出会う問題には、そういうものが用意されていないことがほとんどです。
何が正解なのか、すぐには分からない。そもそも何を問題として考えるべきなのかも分からない。調べても、違う意見がいくつも出てくることもあります。
そんなときには、「この問題にはこの公式」という形では進めません。
自分が今どこまで分かっているのかを整理して、必要なことを調べてみるだとか、誰かの意見を聞いた場合も、それをそのまま受け入れるのではなく、自分なりに比べて考えるだとか、いろいろ考えないといけません。
そして、一度決めたことでも、うまくいかなければまた考え直すなんてこともあるわけです。
これは、数学の問題を解くときにやっていることと、意外とよく似ているなと思います。
もちろん、数学の問題と仕事や人生の問題が同じだと言いたいわけではありません。
人生は数学だ!
ただ、分からないものに出会ったときの向き合い方というものは、どこかでつながっているように感じます。
「習っていません」は通用しない
授業をしていると、「これ、まだ習っていません」と言われることがあります。
学校の試験であれば、それはもっともな話です。習っていない内容を突然出題されたら困ります。
ただ、知らない問題に出会ったときにも、ずっと同じ感覚のままでいるのはちょっと困ります。
習ったことだけを使って解いたり、先生が教えた方法だけを使うという姿勢は、学校にいる間は何とかなるかもしれませんが、いつかは「習っていないこと」に出会うことになるのです。
というより、大人になれば、その方が普通になります。
私自身、塾を始めるときに経営のことを十分に知っていたわけではありません。
税金のことも、集客のことも、必要になってから慌てて調べたことがずいぶんあります。
今なら「こんなことも知らずによく始めたな」と思うことが結構あります。
ホームページなんて、最初のころに作ったものを今見ると、かなり恥ずかしいです。
それでも、そのときはそのときで、分からないなりに調べて作っていました。
人に聞いたり、本で調べたり、えいや!とやってみて失敗したこともあります。今でも、知らないことが出てくれば同じです。
最初から全部知っている必要はありません。知らないなら、そのときに調べればいいのです。
「知らない」ことと、「できない」ことは、同じではありません。……とはいえ、税金関係はいまだに面倒です。
それでも、「習っていないから無理」で終わるのか、「よく分からないけど、ちょっと調べてみよう」となるのかでは、その先がかなり変わります。
勉強する人と、しなくなる人
学校を卒業すると、試験はかなり減ります。宿題もなくなりますし、誰かから「ここを勉強しなさい」と言われることも少なくなります。
そうなると、勉強を続ける人と、しなくなる人の差が少しずつ大きくなっていきます。
これは、資格を取るとか、本をたくさん読むとか、そういう目に見える話だけではありません。
仕事で分からないことが出てきたら調べる人もいます。自分のやり方がうまくいかなければ、別のやり方を探す人もいますし、人の話を聞いて「自分は違うな」と思ったときに、なぜ違うのかを考える人もいます。
そういうことも、私は勉強だと思っています。
反対に、一度覚えたやり方だけをずっと続けることもできますし、分からないことがあっても「自分には関係ない」と通り過ぎることもできます。
どちらが正しい生き方なのか、という話ではありません。
ただ、世の中は少しずつ変わり、その中で自分自身も変わっていくものです。昨日まで知っていたことだけで、ずっとやっていけるとは限りません。
だから、学び続ける力が必要になります。しかも、それは大人になったからといって急に身につくものでもありません。学校にいる間の勉強の中で、少しずつ身につけていくものだと考えています。
分からない問題に出会ったときに、自分で考えること。自分がどこで分からなくなったのかを分析すること。説明を聞いたあとに、自分で再現できるかチェックすること。
そういうことの積み重ねが、知らないことに出会ったときに、自分で学べるかどうかを決めるのではないでしょうか。
試験は終わっても、勉強は終わらない
このシリーズの最初に、試験対策には意味があると書きました。
その考えは、最後まで変わりません。
試験があることで勉強するきっかけができますし、自分がどこまで理解できているのかを確認する機会にもなります。試験に向けて一生懸命勉強することも、大切です。
ただ、試験というものはいつか終わります。
高校入試も大学入試も終わりますし、定期テストを受けることも、いつかなくなります。
でも、分からないことに出会わなくなるわけではありません。
むしろ、誰も答えを用意してくれない問題の方が増えていきます。
そのときに、「これはどうしたらいいの?」とすべてを誰かに委ねることはできません。
そのうえ、正解や模範解答もないケースがほとんどです。
自分で考えてみて、分からなければ調べる。一人ではどうにもならなければ、人に聞くこともあるでしょう。それでもうまくいかなければ、また少し考え直したりする必要があるのです。
大人になってからの勉強というものは、そんなに順調に進むことはありません。
だからこそ、私は、学校にいる間の勉強を試験対策だけで終わらせて欲しくないと考えるのです。
数学の公式を全部覚えていてほしい、ということではありませんし、学校で習ったことを一つ残らず覚えていてほしいわけでもありません。
むしろ、学校で習ったことの大半は忘れてしまうでしょう。
私もずいぶん忘れています。
それでも、分からないものに出会ったときに、「まあ、ちょっと考えてみるか」と思える人であってほしいなと思うのです。
勉強した中身は忘れたとしても、それらを獲得した方法は残って欲しいのです。
試験のための勉強は、試験が終われば終わります。でも、そのあとも分からないことは次々に出てきます。
私自身、今でもそのたびに調べたり、人に聞いたりしています。もちろん、見当違いのことをして後から気づくこともあります。
たぶん、これからもそんな感じなのでしょう。
生徒たちにも、分からないことに出会ったときに、「もう無理」で終わらず、少しだけ先へ進んでみてほしい。
ここまで試験と勉強についていろいろ書いてきましたが、最後に言いたかったのは、たぶんそんなことなのではないかと思います。






