正月特訓も無事に終了し、昨日から冬期講習の後半戦が始まりました。
高1・高2のクラスは冬期講習から参加している生徒が複数人いるので、細かなところまでチェックしています。事前の面談からある程度の状況は把握できていたのですが、思った以上に理解できていないということで、急遽、講義を入れたりサブプリントを作るなどの対応をしました。

面談では、生徒本人や保護者の方から勉強法や勉強量(演習量)といった話や相談が出ることが多いのですが、かなりピントがずれていることが多いなあと感じます。おそらく、いろいろと調べたり聞いたりなさってのことだと思うのですが「そこじゃない」と思うことが度々あるわけです。
一般的に、数学の勉強のイメージとして下のサイトのようなことを言ってる人が多いのですが、すべての人がこれで上手くいくわけではありません。むしろ、これがハマる人はそこそこの成績を取っている人だと思います。
受験数学っていう言葉自体が胡散臭いものですが、個人的に思うこととして、
ということがあります。上記のリンク先でも、書かれているのはほとんどがテストの対策についてです。数学そのものの勉強についてはほぼ触れられていません。
もちろんテストの対策だけやっていても、何となく点数が取れている人がいることも事実です。こういうタイプの人は、ある意味ピュアな人なのかもしれません。深く考えなくとも「まあこういうものか」と受け入れられるタイプの人は効果があるようにも思えます。ただし、そのまま入試まで突き進むことができればいいのですが、一度躓いてしまうと、修復困難な状況に陥る危険性もかなり高いのです。
一方で、何もしなくても最初からできてるという人が少数ですがいます。しかし、これは本当に稀なケースで、私も指導していてそういう生徒に巡り合うのは5年に1度あるかないかというくらいです。そして、こういう生徒が理想像として持ち上げられることが多いのも事実です。「〇〇さんは、部活動もきちんとやって塾にも行かずに現役で東大に合格しました」なんていう話が語られることもあるでしょう。しかし、本当に特殊な例であって、大多数の人にはそのまま鵜呑みにしてはいけない危険な例でもあります。
私が実際に指導して感じるのは、数学で躓く生徒の多くはこうしたテスト対策としての解法が云々というレベルではなく、教科書内容のレベルをまったく理解できていないということなのです。
そのため、いくら問題演習を重ねても、知らない問題が出てくると思考停止状態になってしまったり、デタラメなことをやり出す生徒がいます。しかし、知っている問題であればきちんと解けるという状況であるため、本人はそこまでの危機感を覚えないわけです。「今回はたまたま出来なかった」くらいの感じにしか受け止めないわけですね。
ところが、そうした状況が何度か続くと、「あれ、何だか出来なくなってきた」とさすがに不安になってくるようです。実は、この段階でかなり危険な状況に陥っている人が多いのです。実際に、こういう段階で塾へやってくる生徒のほとんどは、教科書内容の最初の方からやり直しということになります(その状況を受け止められずに他へ行かれる方もいます)。
今回の冬期講習でも、こういう教科書レベルからやり直しの生徒がたくさんいました。
たとえば、中学生レベルの連立方程式の問題などはわかりやすい例です。
$$\begin{cases}2x+3y=4\\4x+y=3\end{cases}$$
連立方程式については、以前の記事でもクドクド言ってますね(笑)
解けることと理解していることとはどう違うのか。よく「分かるからできるへ」なんていうフレーズを使っている人がいるが、だいたいの場合、この手の人は「分かっていない」人が多いように思う。だから「分かるからできるへ」ではなくて「分かるをすっ[…]
結局、理屈はよく分からないけれどこうすれば答えは求まるというレベルで止まってしまっている人がかなり多いわけです。
その理屈の部分をきちんと理解していけば、いろいろな知識が繋がって結局はラクになるのですが、理屈を理解することの方が面倒だと考えてドツボにはまってしまうということなのかもしれません。
上で取り上げた連立方程式の理屈を理解しておけば、2次方程式の共通解の問題もとくに難しく感じないでしょうし、数IIで出てくる軌跡あたりの話も理解しやすいのですが、そうした繋がりが欠如しているため、同じようなことをやっているにもかかわらず、別々のものと認識してしまっているわけです。そして「こんなに覚えられない」と悲鳴を上げてしまうのでしょう。
この話も、クドクド書いてますね(笑)
理解するというのはどういうこと?数学が苦手になり、当塾へやってくる生徒は多いのですが、そうした生徒に共通する1つの特徴として「理解する」ということそのものが分かっていないということがあります。塾長まずは教科書[…]
ここ数年、こうした状況が目立ってきているため、来年度からは少し授業を見直して、より教科書内容を深く扱うようにしようかなと考えたりもします。ただ、どこまで需要があるかということなんですよね・・・。結局、テストの点が上がれば何でもいい、合格すれば何でもいい、というのが大きな需要であったりするわけで、悩ましいところです。