2024年の1月が終わった。
今年は元旦から大きな地震に見舞われるという最悪のスタートだった。
地震の時はちょうど車に乗っていたが、これまでに経験したことのないくらいの揺れだった。
上下左右に揺れる車中で「あ、これ死ぬかもしれないヤツだ」と妙に冷静に考えていた。
揺れが収まるまでの1〜2分はとても長く感じられた。
幸い、自分にも知人にも大きな被害はなく、1週間程で元の生活に戻ることができた。
塾の方もホワイトボードが倒れたり壁にヒビが入ったりシャッターが閉まらなくなったりしたが、最小の被害で済んだと言える。
でも、被害の大きかったところはインフラの復旧の目処すら立っていない。いまだに1月1日で止まったままのところもあるだろう。
復興と簡単に言うが、高齢化している市町村をどこまで立て直すのか、立て直せるのか、分からない。
それでも、美しく懐かしい能登の風景を再び見たいという気持ちは強くある。
もちろん、能登だけでなく内灘や氷見、ちょっと離れた新潟でも大きな被害が出ているところがある。
センセーショナルに報道される地域は早々に支援があるだろうが、そうでない地域にも目を向けて欲しい。
能登の学生たちを支援する動きも大いに結構だ。でも、それだけをドラマチックに取り上げないで欲しい。
感動のネタになるものだけを取り上げるのはやめてくれ。
困っている人はたくさんいる。
支援の手はできるだけ、そうした困っている人たち全員に届いて欲しい。
そんな思いでこの1か月を過ごしてきた。
気持ちはなかなか上向かなかったけど、一方で、ずいぶん昔に切れてしまった縁が再び繋がるという嬉しいこともあった。
心配してメッセージをくれたみんなには感謝してる。まあ、俺自身は全然無事だったんだけど。
20年、30年あるいは40年ぶりに連絡を取った人もいる。俺が生きて紡いできたいくつかの縁は、切れてしまった後もどこかでひっそりと生きていて、こうして奇跡的につながったのかもしれない。
もちろん、もう2度と繋がることのないものもあるだろう。それでも、こうして大切にされてきた縁というものは大事にしなきゃいけないなと思う。
普段はこんな深刻に考えないし、どちらかというと日々をダラダラと過ごしている人間なんだけど、近くでたくさんの人が亡くなるようなことが起きて、少し深く考えざるを得なかった。
あまり深刻になりすぎてもいけないから、2月を迎えた今日からは気持ちも新たに頑張ろうかなと思う。