ここ最近、大学入試における出題ミスが取り上げられることが増えた。
そのせいか、ついにはこんなお達しが出ることに。
入試におけるミスは極力少なくするべきだし、ミスによって合否に影響が出るのはいただけない。
しかし、その原因が大学側の怠慢にあると決めつけるような風潮もどうかと思う。
入試業務については、いろいろと問題点が多いことは調べてみればすぐにわかる。
そうしたシステム的な問題点はまったく触れられずに、大学に要求するだけというのは完全なお役所仕事だろう。
人が行う作業にはミスがつきものであるわけだから、ミスが起こることを前提としたシステムの構築も必要なんじゃなかろうか。
そうした議論が捨て置かれているというのが個人的には気にくわないし、はっきり行って文科省っていうのが最大のガンであるような気がする。
さらに、こんな内容もある。
入試情報の取扱いについて、個別学力検査における試験問題やその解答は、当該入試の実施以降に受験者や次年度以降の入学志願者が学習上参考にできるようにするため、試験問題や解答は原則として公表する。ただし、一義的な解答が示せない記述式の問題などは、出題の意図または複数のもしくは標準的な解答例などを原則として公表することを求めた。
解答例の公表はメリットが大きいので賛成する人も多いだろう。ただし、現状でも「赤本」というものが存在していて、予備校講師などによる過去問の解答例は示されている。
ただし、デメリットも少なからず存在する。
こうした解答例は一例に過ぎないのだけど、それを絶対視するような風潮が出てくる可能性がある。
実際に、いまでも「入試でこう書いたら減点ですか?」と「こう書かないとダメですか?」なんていう質問がくる。
問題集などの解答を見て、少しでも違っていると不安になるのだろう。
ひどい話だけど「軌跡の問題の最後には『逆も成り立つ』ととりあえず書いておけ」などという指導をする教師もいる。
教わったことと少しでも違う解き方をしたら0点になる、という事例もあった。
解答の公表によって「模範解答」以外の答案はダメだという風に考える指導者が出てきても不思議ではないし、そういう事例が増えてしまう可能性も否めない。
本来、数学なんていろんな解き方が存在するわけで、これが正しい、と決めることはできない。
そういう部分を考慮すると、解答の公表には一概に賛成ということにはならない。
と思っていたら、こんな記事も。
一方、昨年のミスで17人の追加合格を出した京大は解答を公表しない姿勢を崩していない。「受験生の柔軟な発想や独創性を阻害する」「思考力を重視しており、これが正解だと示せないものがある」というのが理由だ。担当者は「通知の詳細を確認し、必要な対応を検討する」としつつも、「基本的な姿勢は変わらない」と強調した。
17人の追加合格はいただけないが、京都大学の主張もわかる。
判で押したような答案ばかりだと採点するのも面倒になる。それを歓迎する人もいるかもしれないが。
いずれにしても、入試問題の作成というのはとても大変な仕事である。
そのことが、もう少し周知される必要もあるんじゃいかなあと思うのである。