とある日常で起こった出来事
生徒が、問題の解答をもって質問に来ることがよくあります。

というものです。他の人に聞いて見たところ

と言われたらしく、それがどうにも納得いかないっていう話でした。問題を見せてもらった後で、解答を見たところ、確かにそこだけを見れば「素晴らしい発想」が天から降ってきたような印象を受けるものです。
しかし、大抵の場合はひらめいたのではなく、必要に迫られてそのような方法に落ち着くものなのです。
というわけで振り出しに戻って、ど頭から考えてみようということになりました。

なんてやり取りしながら、具体例をあれこれとやってみました。そうしているうちに


と、こんな感じのやり取りになりました。
地道に1つずつ考えて見れば、突拍子も無い発想ではなく、そうしないとマズいことが起こるというものだったわけです。
ちなみに、似たような問題をやってもらったら、ごくごく自然に解いていました。
こういうのは日常茶飯事だったりします。
生徒を見ていると、こうした「地道にあれこれやってみる」という部分がスッポリと抜けて落ちている人が結構います。
- 問題を見る
- パターンを考える
- パターンから解法を思い出す
- 解法に当てはめて解く
なんだかこんな風に問題を解くものだと勘違いしている人が多いようですね。
まあ、典型的な問題であれば、こうした方法はある程度は有効かもしれません。でも、「ある程度」ってのがポイントです。
難易度が半端な模試(進研模試とか)くらいまでならこの方法でもある程度は点数が取れてしまいます。
で、取れてしまうもんだから「これが正しい方法なんだ」と思い込んでしまう人がいるのでしょう。
上の思考(とも言えませんが)の流れを見たら、考えてるのはパターンのマッチングだけということになります。
パターンが見つからなかったらどうなるのでしょうか。
全く手が動かなくなったり、デタラメなことをやり始めたり、放心したりということになるのです。

本人は考えているつもりなのかもしれませんが、こちらから言わせてもらうと「何も考えてない」も同然です。
こういう「あまりよろしくない習慣」を、一体どこで身につけてくるのか甚だ疑問です。

その点、ベテランの塾生になると、そのあたりはよく心得ており、具体例をあれこれやってみたりするのは「当たり前」のことになっています。ちょっと詰まるような部分があっても、いろいろ書き出してみたりしながら自力で乗り越えていきます。
つまり、「解き方」が先にあってそうなるのではなく、あれこれ考えた結果そのような解き方になる、ということなのです。
その、あれこれ考えたという部分がいちばん重要なことであって、これを自力でできるようにならないと、いつまでたっても数学なんてできやしないのです。
にもかかわらず、結果として出てきた解き方ばかりを覚えようとする人が案外多いんですよ!
これは、生徒本人の認識の甘さもあるけれど、やはり指導者側に大きく問題があると思います。
数学が苦手な人は、最初から苦手なんじゃなくて、苦手にさせられてるっていうのかなあ・・・そんな感じですね。
まあ、とにかく、うちの塾では「考える」部分をちゃんと大切にする塾でありたいと常々思っているのです。