英語の授業では、毎回単語テストを実施している。
1週間で32語である。
繰り返す、1週間で32語である。
一日で6語覚えればおつりが来るようになっている。
そして、単語練習のやり方も、しっかりプリントに記載してある。
合格点は30点。
20点台なら、やり方が甘い。つまりは自分に甘い、ということである。
10点台の生徒は、やり方を守らず、自己流に走っている生徒が多い。
自己流でやるなら、塾に来る意味はない。自分でやってくれ。
10点以下の生徒は、はっきり言って人としての神経を疑ってしまう。
「こんな点を取ったら恥ずかしい」という気持ちがないとしか思えない。
あるいは、自分の行動によって人がどういう気持ちになるか、を想像できない人間だ。
自分が思っている以上に、他人は「あなた」のいろんな部分を見て、「あなた」という人間を判断している。常に見られている、という緊張感を持て。
たかが、単語のテストでそこまで思わなくても・・・というのは甘い。
そういう小さな部分の積み重ねが為人を形成しているのだ。
当たり前だが、単語テストができない生徒は、100%成績が伸びない。
集積したデータもそのことを如実に物語っている。
「覚える」「暗記」という作業は、勉強のスタートラインである。
覚えたもの(道具)を使って如何に問題を解くか。
そこからが勉強の始まりである。
つまり、スタートラインにすら立てていない生徒が存在するという事である。
例えるなら、何も身に着けずに裸で外を歩いているようなものである。恥ずかしい。
そういう生徒は、上位校には一人としていない。
当然、上位校へ受かっていく生徒は、ほぼ満点を取っている。
残念ながら、人としての自覚のない人間は、一生そういう環境に自らを置くことはできない。
「暗記」は覚えるまでひたすら繰り返すだけ、というシンプルな作業だ。
「覚えられない」ではなく、「覚えるまでやってない」である。
言い訳するなら、正確に言葉をつかえ。
とにかく、そういう生徒の成績を上げることは、俺にはできない。
いや、まあそれなりの点数を取らせることはできるが、うちはそんな塾じゃない。
新年度も迫ってきている。
今年も声を大にして、俺は言いたい。
勉強がどうこう、合格云々言う前に、まず自分が変われ。