先日、高校生の質問応対をしていて「そう言えば似たような質問が以前もあったなあ」と思い出しました。
$$2^{k+1}=2^k+2^k$$
こんな感じの等式です。
こんな感じで質問を持ってくる生徒が結構います。
もちろん、説明してしまえば
$$2^{k+1}=2\cdot 2^k=2^k+2^k$$
となるのですが、これを示したところであまり意味がありません。
このやりとりに関しては、以前の記事をお読みください。
塾長いよいよ10月も終わりですね。共通テストまで80日を切りましたが、勉強は予定通り進んでいるでしょうか? 模試の結果などもどんどん返却されていると思いますが、復習をきちんとやって、1回1回のテストを大切にしてきましょう。も[…]
等式が成り立つことが納得いかない・分からないのであれば、その等式が正しいことを確認してみるべきです。
等式の証明については、いろいろと問題集でやっているはずです。
こういう問題になると、「左辺から右辺を引いて」とか「左辺と右辺をそれぞれ変形して」とかやり始めます(やんなくても分かりますが笑)。
しかし、$2^{k+1}=2^k+2^k$ がよく分からないときに、同じことをやってみようという生徒はあまりいません。
そこで、
なんて聞いてみると、パパッと計算して「あ、0ですね!」なんて答えるわけです。
その0になることを確かめる過程で、$2^{k+1}=2\cdot 2^k=2^k+2^k$ という計算がきちんとできています。
それを見て、「あ、こういうことなんですね!」と納得していきます。
せっかく等式の証明を学んでいるのに、こういうところで活用できなかったら、一体何を学んでいるんだろうかと思ってしまいます。
「これは等式の証明の問題だ!」なんていう風に認識できないと、上のような確認ができないようです。
こうなると、試験ありきの勉強スタイルになってしまい、その先は言わずもがなという感じですね。
実際に、こんな風な認識になってしまっている中高生が大多数で、ちゃんと数学をやっている生徒ってびっくりするくらい少ないのです。
点数が取れれば確かに嬉しいかもしれませんが、それだけではペラッペラな知識しか得られません。
もう少し、考える楽しさや理解する喜びというものを大切にして欲しいなあと思っています。